Flower Cage|カリーナの宝塚依存症ブログ

カリーナによる宝塚偏愛ブログ。個人的な感想や考察を、独断と偏見で綴っていきます。ちょっと辛口気味。

カテゴリ: 大正・昭和の宝塚歌劇団や文化

煙草と悪魔

こんにちは、カリーナです。

『はいからさんが通る』には、出版社の「冗談社」が出てきます。
ヒロインの紅緒は、そこで雑誌の編集者になるんですよね。
そして、小説家の高屋敷要も登場します。

ところで皆さま、大正時代の本ってどんなモノかご存知ですか?
実物を見たことがない方も多いのではないでしょうか。

これから上演する『はいからさんが通る』は、高屋敷要が語り部で、彼が描いた物語…という感じになっているそうです。
大正時代の本について知っておくと、観劇がさらに楽しくなるかも!?

ということで、大正6年発行の、芥川龍之介の本(実物)をご紹介します!
まだ芥川龍之介が無名の頃に出版した、2冊目の短編集『煙草と悪魔』です。



芥川龍之介著『煙草と悪魔』。
保存状態の悪さは…古本屋に文句を言ってくれ…。

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日本に洋紙が入ってきたのは、明治20年代のことでした。
それ以前の本は和紙でしたが、この『煙草と悪魔』は紙が分厚いので、洋紙なのだと思います。


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当時の本は、活版印刷でした。(今の本はオフセット印刷)

鉛でできた小さな活字を1つずつ組み合わせて、紙1枚ずつに印刷していたんです。
大変な作業ですね。

活版印刷は、印刷する時に、紙に圧がかかります。
そのため現代のオフセット印刷とは違い、活字部分を触るとデコボコしているんですよ。




この『煙草と悪魔』、注目すべきは奥付です。

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これは……今では見かけなくなった“検印”

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これについては、「図書出版・東京文献センター公式ブログ」様から解説を引用します。
本の*奥付(おくづけ)を見ると時々「検印廃止」の文字が入ってきます。

今はありませんが、ISBNもバーコードも無い時代に出版社が著者との取り決めで、著者が出来上がった著書の総制作部数を確認するために検印用紙に印を押し、印を押した検印用紙を奥付に張りつけていきました。今は無くなったその時代の名残(なごり)です。

*奥付(おくづけ):和書(日本製の書籍及び雑誌)で書名、著者名、出版年月日、出版社名の書かれて入るページ。日本の本は大抵本文の最後にあるが、洋書では前にあるので前付(まえづけ)と呼ばれる。


つまりこれ、芥川龍之介本人の印鑑なんですね!
印税の「印」は、検印の「印」。
作家の収入に大きく関わってくる印だったんですね~。



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定価は50銭也。(今だと2500円くらい?)



冗談社が出していたのは雑誌だったけど、高屋敷要個人だと、こんな本を出していた可能性もありますよね。
表紙に『はいからさんが通る』なんて書いてあったりして。

そういえば以前、スカステで永久輝せあさんが、衣装+小道具持って写ってたような?
あの小道具はどんな表紙でしたっけ、ちょっと記憶にありません。
生中継やライブ配信の時に見えるかな。



◆豆知識
古書や貴重本を扱う時は、綺麗に洗った素手がベスト。
白い手袋を使うと、かえって本が毛羽立ってしまい傷むので、オススメしません。
でもこの本は結構汚れているので、そういう本は手袋をした方が正解かも。












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タカラジェンヌ

こんにちは、カリーナです。

宝塚歌劇団は、大正時代から続く歴史ある劇団です。
当時、宝塚をはじめとした少女歌劇は、女学生たちに大人気でした。

実は私、大正時代が大・大・大好きなんです!
大正ロマンっぽい雰囲気が、何とも言えませんよね。

おまけに、宝塚再開の最初の作品は、花組公演『はいからさんが通る』。
大正時代×宝塚の話をするなら…今でしょっ!


大正時代の宝塚ファンは、一体どんな風に宝塚を楽しんでいたのでしょうか?
というわけで、大正時代の女学生と宝塚について、参考資料を見ながら語ってみようと思います。



※おそらく、これを読んでゐる皆さまはご存知だと思ひますが、大正時代の女學生たちは、上級生をお姉さまと呼んで慕う文化を持つておりましたの。
憧れのお姉さまにお手紙を書いて、靴箱に入れておくのよ。
詳細は「エス 女学生」でググって頂戴ね。




宝塚の男役のポートレートに胸をときめかせた女学生たち

当時の女学生が読んでいた雑誌には、宝塚歌劇団の男役のポートレートが載っていました。
『少女の友』あたりの雑誌名は、聞いたことがあるのではないでしょうか。
そこに、“憧れのお姉さま”的存在である宝塚の男役の写真が、毎月のように掲載されていたのです。

というのも、当時は“男女七歳にして席を同じゅうせず”の時代。
未婚の男女が、仲良く一緒に街を歩くなんて絶対アウト。
もちろん、男の俳優の写真をウットリ見つめるなんてのもアウトでした!

人気スタアのプロマイド写真が人気でしたが、女性が男の俳優に夢中になるのは、不良のすることだと言われていたそうです。

しかし、男役の写真なら問題なし!
だって男役は女性ですもの、いくら見つめても、写真を集めても問題視されません

大正時代って、今とは色んな感覚が違ったんですね…。




熱心な宝塚ファンほど勉強を頑張った!

大正時代が終わって、時代が昭和になっても、宝塚は大人気でした。
昭和9年には東京宝塚劇場もオープンし、宝塚はまさに全盛期!

大好きな宝塚の舞台を観るために、女学生たちは劇場に向かいます。
でも、勉強をサボっていたわけではありません。
特に熱心な宝塚ファンほど、勉強を頑張っていたそうです。

『女學生手帖 大正・昭和 乙女らいふ』から引用しますと――
良い席をとるために明け方から劇場に向かうと、居並ぶファンが皆教科書を読んでいたというエピソードもあります。スター達の心意気に報いて、宝塚に夢中だから成績が下がったなどとは絶対に言われたくなかったのだそうです。
引用元:『女學生手帖 大正・昭和 乙女らいふ』河出書房新社 p.59


確かに、「宝塚なんか観に行ってるから、試験でこんな点数とるのよ。まさかの全丁!」なんて怒られたくないですもんね。
(ちなみに紅緒は、女学校の成績が全丁=オール1でした!成績悪すぎですね。。。)

“スター達の心意気に報いて”というのも、今の宝塚ファンに通じるものがあると思います。

大正~昭和の女学生と宝塚の関係って面白い

大正時代は、未婚の男女が、同じ電車の車両に乗るのもアウトでした。
それを避けるために、女性専用車両が作られるほどだったんです。(途中でなくなったけど…)

そんな時代でしたから、女学生が恋焦がれる対象は、宝塚の男役。
今だと「宝塚の男役って女じゃん!憧れるなんて変だよ」と言われることもありますけど、昔はむしろそれがメジャーだったんです。

今の学校には、エスの文化がありません。
また、男役への憧れは、当時の女学生の気持ちとは結構違うと思います。
でも、どこか共通するような部分はあるんじゃないかなぁ…?
お手紙を書く文化なんて、エスの延長線みたいな感じがしなくもない。

当時の少女歌劇と女学生のことを調べると、面白いことが色々と分かります。
興味のある方は調べてみてください。



おすすめの参考資料はコチラ。


『少女の友』に実際に掲載された、タカラジェンヌのグラビアも載っています。
「お姉さまへのお手紙文例集」的なものもあり、なかなかのカルチャーショック感。
興味のある方はどうぞ。










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